煮詰まる人

7月26日、日曜日。

久しぶり(といっても4日ぶりだが)に二階の自室で寝るとやっぱり安心するというか落ち着く気はする。厳密に言えば二階の自室は寝室というわけではないのだが(しかしながら寝るためにしか使っていないことも確かだ)、寝室で寝たという感じがする。慣れの問題である。目が覚めたときに目に入る風景とか。

手帳に書いた本日の予定は草取りしかない。よって午前中は玄関前の草取りをする。近ごろ時間の経過の認識がはなはだ怪しくて、例えば爪が伸びるのがやけに速い気がしたりする。それは単にそれだけの時間が過ぎたということなのだが、そこのところを正確に認識していない。玄関前と庭先の雑草の伸び具合も同様。気がつくと玄関先は草取りをしないとさすがに見苦しいぐらいになっていた。30分ほどの草取りだが汗だくになる。外は日差しが強烈に暑かった。

去年や一昨年の今ごろはどうしていたのかと思ってそのころのこの日記を読み返してみた。一番気になったのは、去年も一昨年もこんなに暑かったのだろうかということなのだが、それよりも自分の日記を読んでいて、あまりにも精神状態もやっていることもひどいのでちょっと唖然とする。例えば一昨年の夏の日記を読むと、せっかく母が精神病院から退院してきたというのになんで俺は毎日こんなことをやっているのだといまさらながら驚く。それに日記を読み返すと気になるのはやたらと長いということだ。薬漬けになって時間の感覚や記憶が怪しくなって以来、この日記は備忘録的な意味あいが非常に強く、そういう意味ではこれはいわゆるブログというものではなくてむしろ自分的には記録というべきものなのだが、それにしてもここまで時系列を追って微に入り細に入り書かなくてもいいのでは、と思った。そろそろこの日記の書き方というか、あり方そのものを考え直す時期かもしれないなと。確かにこうしてこまめに書いていればみっちりと読み返すわけではないにしろ、後で検索してあれはいつだったのかと思い出すのには便利なのだが。

大体において記録というにはあまりに精神状態や気分に左右されている。というか、自分の日記が客観性よりも主観に偏り過ぎていると思ったのだけれど、実のところは日々の自分の言動やら行動そのものがあまりにもそのときどきの精神状態や気分に左右されていることがまざまざと分かった。そういう意味では後で読み返すといかに自分が愚かな生き方をしているか分かるというものだけれど、実際問題として後から気づくようではもう遅いのである。

そんな風に反省モードに入り、午後になってメモ帳を手にドトールに行って久しぶりに小説でも書こうと思った。しかし、一向に書けない。プロットどころか何のアイディアも湧いて来ない。それ以前にやたらと延々とクラッシュアイスをかき混ぜ続ける女性客にいらいらし、左前方でタブレット端末に向かいながら貧乏ゆすりを続ける男性客が目障りでしょうがない。ただいらいらしているだけではしょうがないので、メモ帳を開いて試しに延々とクラッシュアイスをかき回す女性について書き始める。しかしながら、もうここ10年以上書きものの類はPCのキーボードでばかり行ってきたので、唖然とするほど漢字が書けなくなっている。いちいち辞書代わりにiPhoneで変換して漢字を確かめないことには二行と進まないのだった。左前方の短パンの男は相変わらず貧乏ゆすりを続け、ヘッドフォンをして身体をしきりに揺らす。いらいらが頂点に達して、とうとう僕は諦めて帰ることにした。結局、1時間ちょっといて煙草を3本吸っただけに終わる。

どうして今になってまた小説を書こうなどと思ったのか、何故書かなければならないと思うのか自分でもよく分からない。僕には小説を書く義務などそもそもない。ただ僕は何事かをやらなければならないという強い思いに駆られただけだ。それはたぶん、昼に自分の日記を読んで焦燥感に駆られたせいもあるだろう。もうちょっと何かまともなことをやらなければと思ったのである。それは別に小説を書くことに限らなくてなんでもよかったのだけれど、今日のところは思いついたのがそれだった。

帰宅後、夜になってまたトライした。今度はPCに向かって。相変わらず大まかなプロットのひとつも思い浮かばないので、これは書きながら考えるしかないと思い、頭の一行を書いた。すると、三行ほど書けた。これはこれでいいのかもしれない。このまま書き続けてもどこかで煮詰まってボツにする可能性も大だが、何もしないよりはましなのだった。少なくとも、一行も書けないよりはましだ。それに、もしかして完成させることが目的ではないのかもしれない。

結局こうしてこの日記は長くなる。

確かに今日は暑かったが、道路脇の温度計は32度、家の中にいて暑くてどうしようもないというほどではなかった。基本的に焦燥感に駆られて煮詰まってばかりという日であったせいもあって、特養にいる母とは会話がほとんど成立せず、じりじりと辛くなってくる。こうしたことが重なると、焦燥感が絶望に変わりそうになる。それでは元も子もない。

見えているつもりの出口が実は間違っているのではないかという気もして、なかなか出口が見えない。

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