途方に暮れる

3月28日、土曜日。

fragmentsに二年前に母が精神病院に入院した日のことをアップ(「化粧」)。

落ち着かない。何をしたらいいのか分からなくて途方に暮れる日。朝目が覚めてもこんなに早く起きてもしょうがないと思って例によって二度寝三度寝をする。朝食後、珈琲を飲みながら煙草を我慢するべきか一時間ほど悩む。昨日の日記にも書いたように、身体的にはもう止めるべきだと思う。つまり、どこかで最後の煙草になるのだ。その辺に関して、妙に感傷的になる。どうせなら美味しいと思って吸ってから止めたい、とか。結局散々考えた挙句に吸ってしまう。

今日も業務に行く。日中の気温が上がってすっかり暖かくなり、セーターにコートを羽織って行ったら途中から暑くなった。僕のように厚着をしている人はほとんどいなかった。皆薄着だ。今月前半までちっとも結果が伴わなかった業務だが、後半になっていつの間にか結果が伴うようになり気がつくとプラスになっている。

帰宅すると、南向きの書斎や茶の間は暖かいのだが北向きの台所はちょっとひんやりする。しかしさすがに暖房を入れるほどではない。ただ、とにかく何をしたらいいのかさっぱり分からないのである。頭の中はどこかで煙草を我慢しなければということと、何をしたらいいのかということで一杯になり、にっちもさっちも行かなくなる。どうにも落ち着かない。しょうがないので前述の小文を書いた。今日はナビスコ杯を見る気にもなれなかった。「何をすべきか」「何をしたらよいのか」という観点で考えてしまうので何も出来なくなる。どこかに常に責務を背負うべき、というようなある種の強迫観念がある。それで結果的に煮詰まる。DVDやhuluで映画を見るという発想にもならない。

夕食後に母のところに行く。今日の母は例によって着るものが気になるとか、誰かのものがなくなってそれが自分が取ったと言われているような気がするといった軽い被害妄想傾向にあった。

母のところから帰宅後、相変わらず焦燥。それに、寒いのか寒くないのか分からない。ちょっと寒いかもと思って暖房を入れると暑い。しょうがないので途中からコートを羽織っていた。とにかく人よりも寒がりなことは間違いないようだ。するべきことがどうしても思いつかず、洗いものをしたり、流しを掃除したりしてみる。結局読みかけの閻連科「愉楽」を読み始めるが、中国の地名にルビが振ってなくて読めなくていらいらする。気がつくと朝は今日から止めるかもと思っていた煙草を10本以上吸っている。まあしかし、一日の本数は着実に日に日に減っているのだから実際問題としてそう焦ることもないのだった。35年以上も吸い続けてきたものを今日中に止めないとどうこうというほどの違いはないだろう。どうもこのところの僕は強迫観念の塊のようになっていて、まるで強迫神経症のようだ。なんていうか、予定や計画を立てて、それをひとつひとつこなしていきたいという強い欲求があるのだが、その予定や計画を立てることが出来ない。手帳の後ろの方に煮詰まったときにやることを箇条書きにしているのだが、どれひとつ今日やるべきことに思えないのだった。例えば、おもむろにギターを弾き始めてもすぐに嫌になってしまう。すべてが中途半端になってしまう。何一つ没頭出来ない。誰かと話したくなる。人生の大半を一人暮らししてきたのに、一人暮らしが寂しくてたまらなくなる。

まあいろんな意味で今の僕は弱っているのだろうなと思う。どこかにすんなりと自分を許せない僕がいて、リラックス出来ない。これでいいのだと思えない。かといって、どこがダメなのかもよく分からない。たぶん、何も出来ないことが一番ダメだと思っているのだろう。堂々巡りだ。禁煙しなければと思いながら煙草を吸ってしまうなどという行為はその典型だ。なんていうか、自分が巨大な矛盾を抱えながら生きている気がする。何か救いが欲しい。気分転換にちょっとした旅行とかがしたい。そういえば、今日は散歩をすればよかったなと今ごろになって思う。ああ、なんというじりじりとした一日。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク