コタツの魔

1月30日、金曜日。

どうにもコタツと相性が悪い。どうやっても寝てしまう。もはや諦めて、コタツに入るときは寝るつもりで入る。で、寝ると決まって具合が悪くなるのだから困る。冬の間、終日コタツで過ごしていた両親は一体どうやって意識をなくさずにいられたのか謎だ。いや、両親のみならず、この界隈の老人連中は大概一日をコタツに入って過ごす。僕とて以前はコタツに入って毎回毎回即気絶していたわけではなかった。どうしてこのところ条件反射的に意識をなくしてしまうのだろうか。

そもそも今日は寝不足だった。何時ごろだろう、とにかくまだ真っ暗なうちに一度トイレに目が覚め、次に目が覚めたときは7時9分だった。今日は燃えるゴミの日だからゴミを出してしまおうと起きた。昨夜はいつもより早く寝たが、それでも2時は過ぎていたはずだ。昼寝するのは必然と思われた。ともかく、ゴミを出すことは出来た。

朝方はまだ雪は降っていなかった。早起きしてしまったのでこのままでは煙草ばかり増えてしまうと思い、朝食後に業務に。開店直後なのでがらがらだった。一応選んだつもりだったのだが結果的には下ネタを掴まされボコられる。どうやら早起きは得ではなく、むしろ損なようだ。1時前に撤退。外に出ると雪が降りしきっていた。帰宅すると寒くて死にそう。寝不足のわりには眠気はそれほどではなかったのだが、とにかく寒くて仕方ないし、4時半の歯医者の予約までにはまだ時間もあるのでコタツで少し寝ることにしたのだった。

で、4・50分ほどコタツで寝ると前述のように具合が悪くなった。とにかく調子が悪い。胃がむかむかするような感じもあるし気分も悪い。なんでコタツで寝るたびにこうも調子を崩すのだろうかと首を捻る。窓外は雪が凄い勢いで降っている。ともあれ歯医者には行かねばならぬ。

外に出ると、考えてみればあれだけ降り続いていたのだから当たり前なのだが、玄関前にはすっかり雪が積もっていた。これは雪かきをせざるを得ない。しょうがないので歯医者から帰宅後、日が翳った中雪かきをした。すると、先ほどまでの体調の悪さはむしろ治まった。結局のところ、ぐだぐだと寝てばかりいて調子を崩しているので、身体を動かした方がいいということに気づいたのだった。まあそれは薄々分かってはいたものの、何しろ寒いのでどうしても暖房をつけている部屋に閉じこもりがちになってしまう。

夕飯を摂りながらアジア杯の3位決定戦、イラク×UAEを見る。点の取り合いで2-3でUAEの勝ち、結構面白い試合だった。UAEの10番オマルはやはり別格のスキル。逆にイラクはフォワードのマハブートが倒れてばかりで決定機を逃したのが響いた。

相場は朝方指値をしたのだが結局指値はつかず。方向の読みは当たっていたのだが入るタイミングを掴めなかった。今日のところは様子見、夜の指標時に少し小銭を稼いだだけ。今日は相場をやるほど頭が回らなかった。

そんなわけでとにかく寒いし雪は降ってるし体調は悪いしで、ほぼ何も出来ないまま漫然と一日を過ごす。ツイッターで人に勧められた、精神科医が書いたドキュメンタリー、「旅するサイコセラピスト ―特別な患者たちのその後を訪ねて」という本をつらつらと読むが、ひとつには昨日の日記にも書いたようにその前に読んだ「ストーナー」があまりにもよかったということもあるが、精神を病んだ人と向き合うという話がどうも読んでいてしんどい。普通であれば小説よりもドキュメンタリーの方が読みやすい場合も往々にしてあるのだが、どうも今は自分の体調がよろしくないのに同期するように精神状態もあまりよろしくないので、あまりにも精神的にどうかしている人の話(実話)を読むのが辛い。例えば今読んでいる章は北極熊に恋してしまう(比喩的にではなく真剣に恋愛感情を抱いてしまう)男の話なのだがどうにも読んでいて辛くなってしまうのだった。これはたぶん、僕自身が精神を病んでいるということもまんざら関係なくはないと思う。極度の抑うつ状態にあるという自覚はないが、ここ最近はずっと頭が回らないしどんよりとしたうつの傾向にはあると思う。少なくとも常に水面よりもちょっと沈んでいるという憂鬱な感覚が抜けない。それは多分に雪に閉ざされた冬の閉塞感というものもあると思う。

気がつくと毎晩梅酒を飲んで酔っ払っている。依存すると嫌だなあとは思うものの、終日身体がだるくて疲れが取れず、頭に靄がかかったようでいるとああ酒を飲んで寝てしまいたいなどといつの間にか考えている自分がいる。こういうのが依存の始まりなんだろうなと思いつつ。

まだまだ冬は続く。


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