東京物語

12月26日、金曜日。

朝方は晴れていて日中は雪が舞うが積もらず、油断していると日が落ちた夕方から積もるというのが最近のパターンになりつつある。今日もそれ。

午前中、と言っても11時だが歯医者の予約が入っていたので念のために9時にアラームをセットしておいて起きた。ずうっと毎日夢を見ているのでアラームで起きたときぐらい夢を見ないかと思ったらやっぱり見た。まあ人間毎晩何百回(200回だったかな?)という夢を見ていて、夢を見たかどうかは起きたタイミングで覚えているかどうかの違いであると何かで読んだ記憶があるけれど。とにかく毎日夢を見る。

朝食後に雪かき。明け方にはそれほど積もらなかったようで、昨晩雪かきしておいて正解だった。歯医者から戻って昼食、その後は煮詰まる。精神状態悪く、とうとう映画を見る気力さえ失ったように思えた。眠気が襲ってきて台所のテーブルに突っ伏してうとうとする。それからhuluでジム・ジャームッシュ監督の処女作「パーマネント・バケーション」を見始めるがこれが恐ろしくつまらない。30分ぐらい見て止めた。中途半端にゲージュツして何かを象徴的に表現しようとしても、結局伝わらなければただただ退屈で鬱屈するだけだ。難解な映画というのは本来存在しないと思う。分かるか分からないかの違いだけ。理解するのが難しいというのは方法論・表現として意図が伝わっていないということに過ぎない。ジョン・ルーリーの音楽も最低。まあ本日の精神状態の悪さもあったとは思うが、とにかく我慢ならなかった。

という感じで挫折したものの、気を取り直して小津安二郎「東京物語」を見た。この映画を見るのはたぶん3度目ぐらいだと思う。で、やっぱりすとんと気持ちのいいところに落ちてくれなかった。皆が絶賛する映画を絶賛出来ないので悩む。そもそもこの映画は気持ちのいいところに落とす映画ではないということなのだろうか。それとも僕の感覚がおかしいのか。原節子にどうにも違和感を覚えて感情移入出来ない。小津は原の演技を絶賛しているが、僕にはどこか嘘臭く不自然に見えるしそれにどう見ても美人には見えない。いずれにしても昨日見た「秋刀魚の味」の方がずっと好きだ。僕には小津が老境の孤独・寂寥に拘っているようにも思えるが、この「東京物語」、家族・親子の関係性を描いたものとしても僕がいまひとつピンと来ないのは、この映画では親子の関係が年を取るに連れて希薄になっていくという風に描かれているものの、自分自身を顧みるとまったく逆だというせいもある。僕自身は子供のころや若いころは親との会話がほとんどなく、年を取るに連れてコミュニケーションが増えていき、親子の関係性という意味では今現在の母との関係がこれまでの人生の中で一番密接になっている。ただふと気がつけば弟との関係性は年を取るに連れて距離が開いていった感じはして、なるほどそういう視点から行けばそうなるのかな、と思えなくもない。いずれにしても人間というのは年を取れば取るほど孤独になるのだ、ということであれば気持ちのいいことではない。なぜなら僕は今、生まれてこの方もっとも孤独を感じているから。この先これ以上孤独になるのは願い下げにして欲しいものだ。

今日は台所の床を拭き掃除したり。灯油が半分を割ってきたので一番安いところに頼もうと電話したら年末は混んでて年明けの5日になると言われ、一応予約はしたものの少々不安なのでいつものところで少しだけ入れてもらった。それでも前回よりリッター10円ぐらい安くなっていた。これは助かる。だが一番安いところだと20円安いのである。

母の調子はそれほど悪くないのだが、気のせいか日一日と老いていっているような感じがする。たぶん自分自身の精神状態のせい、受け止め方のせいだと思うけど。

というわけで梅酒飲んで酔っ払いながら書いております。癖になるとヤバいなあと思いつつ。


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