自由

12月19日、金曜日。

あれからもう一年なんだな……。自由とはなんだろうと思う。ある種の気分でもあるような気がしないでもないし、そうでもないような気がする。もしかすると、自由というのは案外と不自由なのだなと思ったり。そう思うのは自分が自由であると感じるかどうか、自覚するかどうかという話で、実は自由そのものはある種の権利のようなものかもしれない。

僕はある程度までは自由だがある意味では不自由だ。つまりまったく完璧に、底抜けに自由というわけではない。パーフェクトに自由な人っているのだろうか。一時的に、あるいは瞬間的にはそう思えるかもしれないが、永続的にという意味ではどうだろう。それはもしかしたら物凄く退屈かもしれない。

今日も昨日からの背筋痛がまだ取れない。幸いにして今日は雪ではなかったからよかったものの。大雪が続くと身体の方が根を上げてしまいそうだ。

三度寝をして8時半起床。今日は午前中から台所に篭って相場。午後になって眠気が凄くなり、茶の間のコタツで沈没。窓の外に猫と犬がやってくる夢を見る。農協のシロアリ駆除の営業がドアチャイムを鳴らして起こされる。夕方も相場を少々。

チェーホフの「決闘」読了。こうして読み終わってみると実に味わい深い小説だった。そこそこハッピーなエンディングなので後味もいい。どうしてこうよく出来た、しかもそれほど長くない(短編と考えると長いが)小説を一気に読んでしまえないのだろうか。そういう自分自身のコンセントレーションの方がむしろ気になる。毎日同じことを書いているけれど。

そういえばFacebookの同級生女子のそこそこ長い書き込みが日本語の文章としてさっぱり理解出来なかった。しかしながら「いいね!」の数を見ると少なくとも24人は理解出来ているようだ。余程今の僕は頭が悪いのだろうか。読解力がないのだろうか。というのも、その子(おばさんだが)はそこそこ頭がよく、むしろ頭でっかちと言ってもいいくらいだからだ(ただしいささか躁傾向にはある)。しかしながら、ここまで意味不明な文章を書けるものかと不思議に思う。そして、皆何故それをいいと思うのか理解に苦しむ。

一日ほとんど雪が降らなかったお蔭で大きな道の雪は融けたが家の前の道はまだ雪が残って凍結していて、母のところに向かうときに相変わらずタイヤが滑って怖い。母は食堂(食堂といつも書いているが大きなホール)の一角を険しい表情で睨んでいた。別にそこに何かがあるというわけではない。今日も例の老爺が大声で喚いていてそれが気になるらしい。表情も怪しかったが、今日はいろいろと行動も覚束なかった。まだいろんな意味で不安定。

夜は週末なので相場は控え、huluでスピルバーグ監督の「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」を見始めたがあまりにもつまらないので途中で止める。スピルバーグで面白いと思ったのは処女作の「激突」とインディ・ジョーンズぐらい。安易に子供を使うのが気に入らないし、妙な話ではあるがスピルバーグの映画は分かりやす過ぎてつまらない。映画というのは不思議なもので全然分からないとつまらないがあまりにも分かりやすくてもつまらない。次いで黒沢清監督「アカルイミライ」を途中まで見る。こちらは何故このディテイルは省略してこちらのディテイルを残してあるのか、とか考えながら見る。

年に一度だけやってもしょうがないだろうと、年末の大掃除なんてやる気は毛頭ないのだが、今日は流しの金属部分(流しはほとんど金属だが)を掃除してみた。綺麗になるとそれなりに気持ちがよい。たぶん普通の主婦とかはこれを毎日とか少なくとも週に一回ぐらいはするのだろうなとふと思う。

それにしても背中が痛い。昨夜は痛くて仰向けで寝れなかった。明日には治っているだろうか。予報では明日は雨、明後日は雪か。


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