ゼア・ウィル・ビー・ブラッド、泥

昨夜寝たのは明け方の4時近く、外ではカッコウが鳴いていた。次いで、オナガかなんかも鳴き始めていた。そんなわけなので今朝起きたのは9時半近く。今日は業務に行くつもりはなく、朝食後に昨夜からのツイッターのTLに一通り目を通し、台所でテレビを点けるとダルビッシュが投げていた。しかしどうにも野球というものはじっと見ているのがかったるく、先日香典を立て替えてもらったので町内の叔母(父の姉)のところに行ってみようと考えた。が、子供のころ以来行っていないので場所が分からない。住所を入れてググってみて、大体の見当をつけ、ダルビッシュが点を取られたタイミングで出かけてみる。ところが行ってみると狭い小路が入り組んだ地域、どこか分からず道に迷ってしまった。しょうがないので電話していとこに迎えに来てもらった。親戚の家は小路からさらに入ったところにあり、どうりで分からないわけである。

昨日に引き続き、今日も寒かった。親戚の居間は寒くて、凍死するかと思った。帰宅しても寒い。どうしてこうも寒いと感じるのか一向に分からない。2時から台所で浦和とセレッソの試合を見始めたのだが暖房を入れた。すると眠くなり、試合の途中から椅子にもたれたまま意識を失い、気がつくと1時間ぐらい経過していた。試合は浦和にミスが少なく、逆にセレッソはミスだらけで内容は一方的に見えた。あれだけタレントが揃っていてどうしてセレッソが勝てないのかなんとなく見えたような気がした。試合は1-0で浦和が勝ち、改めて書斎のソファで毛布を被って寝ようとしたが1時間ほど寝たばかりなので一向に眠れず、しょうがないのでポール・トーマス・アンダーソン監督「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のDVDを見た。

昨日の日記にも書いたようにポール・トーマス・アンダーソン(PTA)ははずれがないと思っていたのだが、ウィキペディアを見てもいろんな賞を受賞したり、英誌に「00年代最高の映画」と評されるなど評判の高い映画だったのだが、なんということか、実に退屈な映画だった。これは逆に驚きだった。北野武と同じく、PTAも「面白い映画を撮る天才」ではないことが分かった。3時間近くの長尺を持って語るほどの話ではなく、成功と引き換えに荒廃していって破滅に至るまでをじりじりと長時間かけて見ただけだった。主役のダニエル・デイ・ルイスは昔からどうも好きになれない役者なのだが、これがどうにも嫌な奴の役で。ということは逆に言えばそれになり切るいい役者ということなのだが、正直今日の僕の精神状態ではどうにも耐えがたく。これは僕の精神状態のせいなのだろうかとも考えたが、本当にいい映画、面白い映画というのはどんな状態で見ても引きずり込まれてしまうから、僕には冗長な映画としか思えなかった。

今日は長尺の映画を見たので母のところに行かなかったのだが、それが罪悪感となってしこりのように僕にまとわりついていた。たぶんそのせいで我慢がなかなか出来なかったのだとも思うが、そもそも我慢しなければならない映画というのもどうか。昨日見たデヴィッド・フィンチャーの映画の方が普通で、PTAの方が退屈というのは実に意外。まあPTAに関しては「ザ・マスター」を見てから再評価することにしたい。ピンチョンの「LAヴァイス」も撮っているらしいし。

そんなこともあり、夕方から夜にかけてはひたすら憂鬱な気分。一応安定剤を1錠飲んだのだが抑うつ状態と言えば抑うつ状態なのだが、いつものそれとも若干違う憂鬱さだった。お蔭で見るつもりだった鹿島対徳島の試合も見れなかった。サッカーすら見れないというのは相当重症だ。夜、弟に昨日の母の件を電話して話したら余計に憂鬱になってしまい、かつてあれだけ電話病に悩まされていたにも関わらず、今の僕は人と電話で話すことがことのほか苦手という皮肉な状態にあり、そもそも電話したいと思う相手すら思い浮かばない。ちょっとした電話恐怖症と言ってもいいぐらいだ。

夜になっても寒くてたまらず、かといって暖房を入れてジャケットを羽織ると今度は暑いと感じたり、どうも昨日今日の僕はどこかおかしい。身体の中、もしくは頭の中の歯車(そんなものがあったらの話だが)がゆるんでいるような妙な収まりの悪さが抜けない。何かのバランスが悪い。が、それがなんなのか分からない。果たして精神的な要因でこんなに寒いなどと思うものなのだろうか。とにかく、常にどこかに母のことが引っかかっていて憂鬱な気分が抜けない。ちょっとした沼地の泥に足を取られているような状態。そんな状態のまま、ずるずると一日が終わってしまった。今日のところはどうにも気分転換というものが出来なかった。

明日はどうしようか、まったく頭に浮かばない。かねてからの懸案であった、不要な机や古いオーディオセットなどの粗大ゴミをリサイクル業者に引き取ってもらおうか。いずれにしても、なんとも中途半端で重苦しい一日だった。気がつくと今日はほとんど音楽すら聴いていない。それだけ余裕がなかったということだ。

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