人は何故キレるのか?

頭に鈍痛。そのぼうっとした頭で、どうして昨夜の僕はキレてしまったのだろうかとさっきから考えている。確かに以前も書いたように、きっかけは母の挙動に対する恐怖だが、今覚えるのは自分自身に対する恐怖だ。どうして人はある瞬間から歯止めが利かなくなってしまうのだろうか。何故自分自身を制御出来なくなってしまうのか。恐怖や怒りを完璧に抑え込むことなど、果たして本当に出来るのだろうか。

昨日の僕は情緒不安定だったのではないかとも考えた。だが、そうだとすると僕は毎日情緒不安定だということになり、何故昨夜だけキレたのかという説明にはならない。確かに僕は怖かった。そして、最初に大声を張り上げてしまった瞬間から、自分自身に対して怖くなったのだ。そしてそれは止まらなかった。キリストも釈迦もガンジーも、ただの一度もキレることはなかったのだろうか。恐怖を、怒りを制御出来なくなることはなかったのだろうか。それはある種の無感動であり、無慈悲なのではないだろうか。そこに感情はあるのか。本当に慈愛はあるのか。すべての感情を遮断することは可能なのか。

昨夜、床に就いた母の頭を抱いて僕は泣いた。自分自身の欲望を完璧に殺すことは不可能だろう。少なくとも僕にとっては。だが、母を最優先することなら、80%ぐらいまでなら出来る。人間の感情は川と堤防の関係に似ている。とにかく決壊しないことが肝要だ。僕という人間は完膚なきまで未熟だ。恐ろしいほどに。

結局、答えなんか何処にもない。あるのは事実と言葉だけだ。

確か今朝は7時ごろに一旦目が覚めたと思う。だが、諦念の方が勝り、二度寝して自分の病院に行くのは諦めた。キャンセルして、予約を取り直した。今日は一日母と一緒にいて様子を見るべきかと思ったが、それも出来なかった。4時間弱の業務に行った。それは僕の欲望なのか、それとも逃避なのか、区別はつかなかった。確かに母は不安定だが、それぐらいの時間なら一人にしておける程度でもある。

さすがに明日の朝はゴミを出さなければならないので、今日は早く寝ようと思う。頭痛いし。昨夜はラリって寝たが、今夜はこれ以上安定剤飲むのはやめよう。ビル・エヴァンスの古い録音を聴きながら煙草を1本吸って、少しだけ寝床で本を読んで眠りに就こう。せめていい夢が見られるといいのだが。


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