終日雨。

相変わらず前向きになれない。なろうとすると出鼻を挫かれ、そこからなかなか立ち直れない。今日も何も出来ず、午後は昼寝。まるで嫌がらせのように、僕が昼寝を始めて15分としないうちに立て続けに来客があって起こされたが、結局1時間ちょっとは寝た。一日のうちでときどきいらいらしたり、気分が安定しない。考えてみると、先日書いたように手帳に母の調子が悪いときには△をつけているのだが、この△の数は結局僕がいらいらした度合に過ぎないのではないかと思った。何度も書いているように母の調子というのは僕自身の投影であり、母の調子を書いているつもりが、自分自身の精神状態をつけているようなものではないか。母の調子は一向によくならず、日々それほどの差はないのである。

というわけで、大江健三郎「個人的な体験」読了。感想はfragmentsに書いた。一応使い分けとして、本の感想はそっちに書くようにする。

香川がチャンピオンズリーグでフル出場し、監督のモイーズが手のひらを返したように絶賛、これで出場機会が増えればいいのだが。確かにダイジェストを見ると、パスもターンも素晴らしい。先日の欧州遠征でこれぐらいの出来だったら結果も違ってきたんだろうな、とか思って見た。なんにしろちょっとほっとした。

明日弟が仙台から来て土日一泊するというので早くも憂鬱になっている。いつごろからか、僕と弟はすっかりソリが合わなくなり、弟が来ると気詰まりを覚えて窒息しそうになる。僕が意識しすぎなのだろうか。10年ぐらい前まではまだこんな風じゃなかった。たぶんここ数年、いや、この1・2年かも知れない。これまで僕が都心で暮らしている間、弟は滅多に連絡をよこさず、その間、といってもそれこそ10年とか20年ぐらいかけて、弟は自分の家庭、家族というものを築き上げてきて、いつの間にか僕が覚えている弟とは違う人間になったように思える。ライフスタイルや価値観といったものがどんどんずれていき、というか、弟の方がまともで僕の方がどんどん自分の世界が縮小してずれていったのだと思う。客観的に見れば、かつての若いころに比べると弟は確固たるいっぱしの人間、社会人になったということでむしろ喜ばしいことなのだろう。

恐らくこういったすべてのことは僕の自意識から来ているのだと思う。だが果たして、僕の歳になって自分の自意識を変革できるものなのだろうか。

結局のところ、△を減らしていくべきなのは僕の方なのだ。

今日の煙草は22本。次に読もうと思っているのは倉橋由美子「聖少女」。大江健三郎「洪水はわが魂に及び」を読みたいところなのだが……。いずれにしても、昭和40年代の純文学って実に面白い。


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