徒労の果て

二度寝したら結局8時起床になった。朝、いささかダルいのが気になったが、昨日の疲れだろうか。

今日も今日とて、9時間半業務。で、結果まったくの徒労に終わる。もちろん、こういうときもある。あるが、一番疲れる。正直、昼に止めていたらそれなりに日当はあった。僕が今やっているのはそれなりの難しさがあることであるので、ときには無駄に終わるかもしれないが基本を守り続けてみる必要もある。後は、今日をどう教訓・経験として今後に生かすか。一番よくないのは結果だけを見ていつまでも悪いように引きずることだ。しかしながら、しばらくは身体的・精神的体力的を鑑みて、あまり無理せず、もう少し楽にやる必要はあるかも知れない。そうじゃないと勝手に自滅していく可能性もある。ま、それほどのリスクを背負っているわけではないけれど。

帰り道、洗濯したものを持って母の病院に寄る。今日の母は元気がなかった。物忘れが酷くなったことを凄く気に病んで、落ち込んでいる様子であった。やけに溜息を吐くし、病気になったことも今の境涯も嘆いてばかりいる。正直言って、帰宅してからの毎晩の僕の精神状態もほぼ似たようなものなのだが、この場合、僕のやるべきことは母を励ますことしかない。心中は僕も少なからず落胆や絶望に近いものを覚えるし、それでなくても今日は物凄く疲れているのだけれど、それでも僕が頑張るから、と言うしかない。

帰宅は遅くなった。冷蔵庫に冷凍してあった残り物のご飯をレンジで温めて夕飯。不在票が入っていたので、時間的にダメかなと思ったが電話してみたら、届けてくれた。今使っている革のウエストバッグが壊れかかっているので、完全に壊れる前に新しいものを注文しておいたのだった。開けてみると想像していた感じとはいささか異なり、まあナイロン製というのもあるけれど、これまで使っていたものと比べると使い勝手は悪そうで、失敗したかなと思う。決して安いものではなかったのだが。今日みたいな流れだと、どこまでも運がないように思えてしまう。

その後は例によってどうにもならない閉塞感。ちょっと一人では耐えきれないほどの鬱屈。かといって、昨日一昨日と2日続けてHと電話で話しているので、毎日電話するのは気が引ける。しょうがないので仙台の弟に電話、母と自分の近況とか話し始めたが、抑うつ状態で完全に鬱屈した状態なので上手く話せない。そうしていると、電話中に地震、宮城県中部が震源だったので電話の向こうではかなり揺れたようだった。こちらも結構揺れた。震度3ぐらいか。電話を切ると、もうどうにもならない。電話出来る相手がもう見つからない。もはや安定剤を2錠飲んで、気絶するしかなかった。そんなわけで11時までワープしたけれど、単なる薬を使った逃避だが、今の僕にはそれしか異常な精神的苦痛から逃れる術はない。それに、一度気絶すると安定剤の効果かその後は少しだけ楽になる。それはそうと、今日は日中の業務中だけで5本、煙草を吸ってしまった。口の中が気持ち悪くなるというのに。今はいろんな意味で過大なストレス、負荷からいかに逃避するかというのが、自分を守るためにも必要となっているから、しょうがないのかなあ。元に戻ることだけは避けなければならないが。でも、今夜は後1本か2本は吸ってしまいそうだ。

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