ある種の敗北、カミングアウト

昨夜(12日)の23時54分、昨年の12月22日から約4ヵ月に渡って禁煙していたのに、遂に煙草を1本吸ってしまった。で、本日(13日)も先ほど22時33分、また1本吸ってしまった。久しぶりに吸うとどこか吸い方がぎこちなく、いがらっぽいだけで美味しくもなく、想像していたように気が楽にもならなかった。では何故今夜も1本吸ってしまったのか。よく分からない。どちらの日も、ストレスで煙草が吸いたくて吸いたくてたまらない日中ではなくて、安定剤が効いてきてストレスが少し治まった頃合いに吸ってしまっているのも謎だ。で、特に今夜は美味しいとは思わなかったにも関わらず、またもう1本吸いたくなってしまっている。やはりこれは敗北なのだろうか。ここでまた吸ってしまうと、結局は元に戻ってしまうのだろうか。僕が煙草を止めたのは、健康上の理由ではなく、経済的な理由から。それと、いまどきは吸える場所が限られていて、特に会社勤めをしたら仕事中はまったく吸えないのでそれを我慢するのも嫌だ、というのも理由のひとつ。だが今のところどこかに勤められそうな気配はまだないし、本質的にはどちらかというと僕は煙草を吸える人生の方を選びたいというのが本音だ。その点に関しては、肺気腫なのに亡くなるまで煙草を吸い続けた父と考え方はあまり変わらない。とまあ、吸いたい理由は山ほどあるのだけれど、せっかくここまで止められたのだから、また元に戻ってもう1度禁煙するのは物凄く面倒に思えるのも確か。実際、去年悪性リンパ腫でCT検査を受けたときに自分が既に肺気腫であるというのも分かっているので、健康上も止めた方がいいというのは重々承知しているから禁煙したのだった。さて、この先僕はどうするのだろう。

昨夜は珍しく朝まで2度ほどトイレに目が覚めたものの夢を見続け、今朝起きたのは結局9時近かったが、あまり寝た感じはしなかった。予定通り10時に病院に母を迎えに行った。スーパーに寄って買い物をしてから家に連れてきたものの、昨夜の不調の延長で僕の調子が非常に悪く、午前中は僕の方がコタツで寝込んでしまった。やはり母の調子は悪く、認知症の可能性はかなりあると思う。病院に持って帰る服を選ぶのに延々時間がかかって終わらない、つまり物事の判断がつかないし、話をしていて僕が質問しても答えが返って来ないので会話自体が中断してしまい成立しない。今日も途中で僕は半分切れてしまった。それぐらい母のもどかしい言動が耐えられないと思った。で、母に質問するのは諦め、その代わりに最近はずっとパチンコに通っているのだということをカミングアウトした。僕が業務のことを母に話すのは初めてだ。業務で食っていた10年以上前から、ずっとそのことはひた隠しに隠して、話したことはなかった。だが、そのことはこれまでずっと僕の心のどこかに重荷として常にあったし、今の状況からして、これ以上母に嘘を吐きたくなかった。大体、医師の言うように今月一杯で母が退院するようになったら、話さずにはいられないだろうと思っていた。長年引っかかっていたことでもあるので、少し気が楽になったような気が一瞬したが、それは業務のこと一点に関してだけであり、本質的な状況や問題は一切解決していないので、母を病院に戻して夕飯を食した後はまた例によって酷く鬱屈し、今日も安定剤に頼らざるを得なかった。

ホントに毎日辛い。母のことを考えると物凄く気が重くなるし、自分の将来のことを考えるとひたすら絶望するのみだ。煙草に逃避したくなるのも自然の摂理というものだ。そしてもちろん、それは僕の弱さでもある。しかしいずれにせよ、人間は所詮現実というものからは逃げられない。すると、僕はこの先一体どうやってこの事態と付き合って、そしてそれを乗り切るのだろうか。というか、果たして乗り切ることが出来るのだろうか。

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