政権交代の日

衆院選で予定調和的に自公というよりも自民党が圧勝した日、僕は選挙に行く気力はなかった。行ったとしても入れるべきところがどこも見つからなかっただろう。だからこの結果に関してあれこれ言う資格は僕にはない。ただ、世の中がいい方に向かっている気が一向にしないことは確かだ。

12時に就寝して6時に目が覚めたものの、寒さにくじけてベッドから起き出すことが出来たのは7時半だった。朝食後、コーヒーの生豆を炒ってから洗濯をすると、長年の習慣で業務に向かいたくなったが、ぐっと堪える。行ったところで何の意味もない。僕はそろそろ何もせずに休むということを覚えなければならない。そこで、外に散歩に出た。外は快晴でこの季節にしては暖かかった。引っ越して初めて、駅とは反対方向に少しだけ歩いてみた。さしたる発見はなく、結婚式場と児童公園を見つけたぐらい。引き返してマンションのところまで戻るとそこから右に折れた。そこにも公園があることを知っていたから。公園のベンチでしばし日なたぼっこをした。もう一度今の状況と決めるべきことを考えようとしたが、頭は回らなかった。ベンチから腰を上げてちょっと辺りを散策するころには僕はすっかり憂鬱になっていた。

昼食後、12時半に安定剤を1錠飲んだ。やはり一向に効く気配はない。ただ離脱症状を抑えるために飲んでいるに過ぎない。このころの気分はさらに酷く落ち込み、絶望感から僕らしくなく希死念慮らしきものまであった。こんな風に、1日何もしないでいると時折酷く気分が落ち込み、悪い方にばかり頭が行く。

何度目か分からない禁煙をしようと、1時にツイッターで「禁煙する」と宣言したが、何故か今日は酷くストレスを感じて2時間半しかもたなかった。諦めて一服しようと駅前の地下の喫茶店に入り、ウィンナーコーヒーを飲みながら煙草を5本吸ってしまった。店は団体客で混んでいた。唯一の収穫はこの間に本を読むことが出来たことだ。

夕飯を駅前のすき屋で食べるころ、また気分が落ち込み、酷く惨めな気分になった。しょうがないので帰宅してから田舎の母親に電話してしばらく話すと少し落ち着いた。夜、また心がざわついたので10時過ぎに安定剤を半錠飲む。無駄だとは分かっているが。

クラブW杯の決勝は後半の途中から見た。コリンチャンスの先制点を見ることは出来た。少なくとも僕が見てから以降の時間帯は1-0でチェルシーを下したコリンチャンスの方が優勢だったが、たぶん全体的にもそうだったのだろう。コリンチャンスはパス回しの精度が高かった。

それにしても、今の僕には何もしないということが辛い。相変わらず手先に力が入らず、強張っている感じで、無意識のうちにストレスを感じて緊張しているのだと思う。何もしていなくても、心はまったく休まっていないのだ。日中の外は前述のように暖かかったのに、暖房をつけている部屋の中は相変わらず寒く感じる。なんだかまたさらに冬という季節が嫌いになった。今日は珍しくツイッターで呟いたけれど、それはこの日記のための備忘録のようなもので、今はそれだけ記憶力に自信がないということだ。というか、このところの僕は自己を全否定してしまうくらいにあらゆることに対して自信を失っている。そしてそれは気力やモチベーションというものまで奪っている。プラスとは言わない、なんとかこれをフラットまで戻したい。

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