涼気と猟奇

このところ毎日、長い夢を見る。今日もそうだった。朝、目が覚めて時計を見ると6時、当然寝直すと目が覚めたのは9時半だった。外に出るとTシャツでは肌寒いほど涼しい。これを書いている今も窓を開けていると寒いほどだ。このまま秋に突入してくれればいいのだが、天気予報を見るとそうはいかないようだ。当たり前か。

昼過ぎぐらいから頭痛がして、アドヴィルを飲んでも治まらず頓服のレキソタンを飲んだら一旦は治まった。が、3時ぐらいからまた頭痛が。そんなわけで一応5時ぐらいに業務を切り上げる。ちなみに5時までに72回も当たった。申し訳ない。帰り道は頭痛と痺れで気分が悪くなる。それでも不思議なことに帰宅するといつのまにか治まった。

猟奇的な事件としてかつてセンセーショナルに取り上げられたいわゆる「東電OL殺人事件」。今日になって被害者の体内に残された体液のDNAがゴビンダ・マイナリ被告と別人のものと判明。体液のDNAは室内に残された体毛とも一致、にも関わらずマイナリ被告の再審請求に対して検察の言い分は「被疑者が現場にいなかったとは言えない」というような、徹頭徹尾、「疑わしきは罰せず」の大原則に真っ向から反するもの。そもそもこの事件は直接的な証拠は一切なく、状況証拠のみで判決が下され、上告を退けた最高裁も単に事件を解決したことにしたかったとしか思えない。一方で、現行犯で逮捕されたにも関わらず不起訴とした中国漁船の船長に、拘束が不可能になった今ごろになって起訴するという、前述の東電OL事件とはまったく逆のちぐはぐな検察の対応。まったくもって、日本の司法というものは昭和のまま動脈硬化しているようだ。これでは単なるパフォーマンス集団。しかも両事件に共通しているのはどちらも「日本人ではない」ということ。つまり、政治的、外交的思惑まで加わるとなると三権分立という司法そのものの存在意義すら自己否定することになる。世も末、って感じ。

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