カンバセーション

8時15分起床。今日は1時に池袋でドラムのミヤザワと会う約束があったので、午前中は本を読んだりしてテキトーに過ごす。白石一文「この世の全部を敵に回して」読了。中編といっていいぐらい短い本だから、あっという間に読み終わった。ここんとこずっとエンターテインメント、それもミステリばかり読んでいたので、純文学系の小説はさすがに硬い印象は受ける。現在の僕と同年齢の男(故人という設定)の手記のかたちを取っているが、これといったストーリーはなく、ある種の論説といったものなので、読み始めはとっつきにくかった。結局のところ、「死」に関する考察であるので、最近の僕の精神状態からするとあまりよろしくない傾向の本だったのだけれど、主に午前中に読んだせいなのか、極度の不安感に陥るといったようなことはなかった。これが面白い小説かどうかと言われると、うーん、たぶん大方の人にとっては面白くない小説だと思う。興味深い内容ではあるが。と、なんか感想になってないな、これじゃ。個人的にはストーリーがもっと欲しかった。

そんなわけで昼に自宅を出て池袋に向かう。久しぶりだ。都心に行くのは一体いつ以来なのだろう。池袋駅の人の多さにくらくらしそうになる。これではまるでおのぼりさんだ。少々早く着いたので駅前の歩道にある喫煙スペースで一服。喫煙スペースには雑多な人がいて、彼らを見てるだけで池袋だなあと思う。駅の真向かいのビルの最上階にある喫茶店(昔の純喫茶という言葉を思い出す)に入ると、ミヤザワは既に座って待っていた。ミヤザワと会うのは4年ぶりぐらいだろうか。白髪も増えて、なんかおっさんになったなあという第一印象。たぶん僕の方も同じように老けたんだろうけど。僕の病気の話から始まって、彼の仕事の話、僕が仕事や将来のことで深刻になっていることなど、気がつくとあっという間に2時間が過ぎた。こんなに長く人と面と向かって屈託のない話をするのも久しぶり。そういえば僕が話し始めてちょっとしてミヤザワが言うには、最初の5分ぐらいまで僕のロレツがちゃんと回っていなかったらしい。それが途中から普通になったというのだ。やれやれ、長く人と会話していないと、口の筋肉が衰えてしまうのか、それとも駅でそうだったように、人と向き合うと知らず知らずのうちにある種緊張でもしてしまっているのか。駅で別れ際、人間としてフツーになったスケザと会えてよかった、とミヤザワが言った。確かに、退院後に抗うつ剤の服用を止めてから、僕の思考の方向性はかなり真っ当になったのだ。

帰りの電車の中で今日も安定剤を飲んだ。お陰で今日も不安感や閉塞感に悩まされることはなかった。地元のドトールで抹茶ラテを飲んで薬が効いてくるのを待っているとミヤザワからメールが届いており、やっぱり音楽を基盤にした方がいいと思うと書いてあった。これはつまり、ミヤザワがやっている仕事に僕が加わるのは難しいという意味だ。ま、それほど当てにしていたわけではないけれど、このところの傾向からいって、こういうことは激しく鬱屈したりする傾向にあるのだけれど、今日はそうはならなかった。むしろ、駅から歩きながら音楽を基盤にして今の僕が出来ることはなんだろうかと考え続けた。最近(というかむしろ近年と言うべきか)、僕は音楽、音楽業界で食っていくのは無理だろうとハナから思い込んでいたフシがあった。今日のミヤザワの発言はそれをもう1度見直すきっかけにはなった。

で、ひとつ思いついたことがあり、それは何かというと、作詞を教えようと思いついた。ある種の通信教育みたいなものである。実際のところ、かつて僕は某レコード会社のスクールとか専門学校とか3箇所で作詞・作曲・音楽制作の講師をしていたことがある。つまり実際に教室で教えていたのである。おまけに、長年僕のチームで一緒にやってきたエンジニアが最近京都で作曲講座をやっているのを知っていた。彼はいわば作曲に関する素人である。僕はプロだ。素人に出来て僕に出来ないことはないだろう、実際やってたんだし、というわけで、夕食後から作詞講座のホームページを作り始め、ついさっきまで書いていた。お陰でこの日記を書いている今は既に午前3時を回っている。これだけ長い間集中力が続いたのは自分でも驚きだ。ま、ただ看板を作っているようなもので、実際どれほど効果があるかはまったく未知数なんだけど、お陰で鬱屈せずに済んだし久々に頭を使った。今日は久々が多い。持つべきものは友であるし、人と会話することの重要性を改めて感じた。

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