如月

2月1日、月曜日。

今日の夢は誰かと堀のようなところに飛び込む夢だった。といっても太宰のように入水心中を図ったわけではなく、相手は男で水中でなんらかの作業をする必要があったのだ。それが何かは忘れてしまったけど。それにしても毎日夢を見る。一日たりとも夢を見ない日はない。夢を見ない人はいるのだろうか。そういう人は昨日から今日、今日から明日へとシームレスに続いているのだろうか。

2月になってもうすぐ父の命日だ。まったくもって当たり前のことだが、僕の人生は半分以上終わっている。2012年12月18日に父が倒れて脳死と診断された日に僕は自分の人生が終わったと思った。父は年が明けて2013年の2月4日に亡くなった。もうすぐ8年になる。つまり、なんだかんだいってまだ僕の人生は続いている。そしてそれはいささか幸運なんだと思う。実際のところ、2012年に悪性リンパ腫のステージ3と診断され、あのとき腫瘍に気づかなければたぶんそのまま死んでいたんだろう。そう考えるとその後の人生はおまけみたいなもので、だからいささか退屈でも仕方がない。

今日はカレンダーを(忘れずに)めくった。それにしても11月に茶の間にコタツを作って以来、まだ一度もコタツの電源を入れていない。ただでさえ誰も来ないのにコロナで余計誰も来ないし、もしかするとこのまま電源を入れずに春になってしまうかもしれない。

何もしなくても日は一日一日と明けていく。もちろん毎日なにがしかのことはしているけれども、ほとんどはただひたすら終日PCに向かっているだけだ。そういう意味では僕の人生はルーティン化しつつあるしヴァーチャル化しつつある。でもそれは僕だけの話ではなく、そこそこの人がそうであるはず。コロナ禍では余計。

毎日通貨が上がっただの下がっただので想像上の恐怖と向き合っている。つまり恐怖というものは大概の場合想像上のものなのだ。ところが幸福や喜びといったものはもっとリアルなものだ。その分だけ僕らはちょっと幸運なのかもしれない。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。