拒絶

7月17日、金曜日。

書くべきことはいろいろあるが何も書きたくないというのが今の心境。

昨日書くのを忘れていたが、隣接する寒河江市と天童市に感染者が出たのでまた母との面会は禁止になった。昨夜あれから真夜中に一度電話がかかってきたので寝る前に着信拒否にした。怒りでなかなか眠れず安定剤を一錠多く舐めた。夢を見た。夢の中で細い一本道を運転していると、道が急な上り坂になりそれを上っていると前の車が急にスピードを落としたのでぶつかるのではないかと思った。坂を上り切るとそこは何故か巨大なショッピングセンターの上階になっていて道は途絶え、目の前には下りのエスカレーターしかない。このエスカレーターを車で降りろということなのだろうかと悩んでいるところで目が覚めた。

目が覚めると10時55分だった。遅い朝食後、いつものように書斎のPCに向かって今日の相場の想定をしたが今日はよく分からなかった。昼ごろドアチャイムが鳴ったので出てみると彼女だった。何食わぬ顔でご飯に行こうという。断固として断り、またうちに来たら警察にLINEの履歴を見せてストーカーされていると訴えると言った。そうして県境の山を越えて車で2時間かけてやって来た彼女を追い返した。

スマホの電話アプリを見ると、午前中に8回着信があった。そして、インスタグラムのメッセージで僕を侮蔑する罵詈雑言が書いてあった。インスタグラムのアカウントにも制限をかけた。これで僕は文字通り彼女をシャットアウトした。一日中嫌な感じにつきまとわれた。ある種の後悔のような、罪悪感のようなものだ。人を一人切り捨てることはこんなにも嫌なものなのかと思った。しかし自分自身はこれまで人から簡単に切られてきた。うつが一番酷く多剤処方で訳が分からなくなっていたころ、友だちや知人に片っ端から金の無心の電話をしたことがあり、それで僕と縁を切った人間は何人かいる。もちろん何か宣言したわけではなく、ある日を境にまったく僕の電話に出ずかけ直しても来ないということで、以来10年以上音信が途絶えた人もいるし、この7・8年を考えても何人かとはすっかり連絡が取れなくなった。かように自分自身はあっさりと縁を切られているのに、罵詈雑言の限りを尽くして自分を傷付けひたすら不愉快にするだけのメンヘラ女一人と縁を切るのにどうしてここまで罪悪感に駆られなければならないのか。これがよく分からない。夜風呂に入る前に体重を計ったら、いつも通り普通に食べたのにただ一日悩んだというだけで昨日より400g体重が落ちていた。とすると、ウサギは寂しいというだけで死ぬという話もまんざら嘘ではないのかもしれない……。

いたたまれなくなって夜散歩らしきものに出た。先日も行った徒歩7分のところにあるベンチに座って煙草を一本吸った。LINEと電話のブロックを解除したい気持ちに駆られた。そうすると気分的に楽になるような気がする。だがそれは自分がシャットアウトしているのではなく相手のせいにしたいだけだということに気づく。そうやってこの10か月間、同じことを繰り返してきた。どうしてこんなに一人になるのが怖いのだろう。もう誰もいないからかな。もう随分長いこと(恐らく実はそう長くもないのだろう)彼女以外の人間とコミュニケートしていない気がして、彼女がいなくなると本当に誰もいなくなるという気がするのだ。実際、母とも面会出来ないとなるとほぼ毎日誰とも口を利かない日を積み重ねることになる。正直なところそれに耐えられるかどうか自信がない。たぶんそれだけの話なのだ。いつの間にか、自分でも気がつかないうちに彼女と共依存の関係になってしまっていたのだろう。共依存が何かということをちゃんと分かっているわけではないけれど。

ダイアン・キートン主演の「ミスター・グッドバーを探して」という古い映画を思い出した。あの映画のように、彼女はいつかつまらない奴に殺されてしまうのではないかと思う。面と向かって人に悪口を言っていると、いつかそういう奴に巡り合ってしまうのではないかと。

それにしても、なんて嫌な気持ちなんだ。

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