拷問

7月13日、月曜日。

午後母と面会。

今日は夕食後の夜になって抑うつ状態が凄まじく、生きているだけでまるで拷問のようだった。安定剤を一錠舐めてみたが気休めにもならなかった。独り言が止まらなくなり、ソファに横になってもいたたまれない。手と顔が酷く痺れる。どうにもならなくなったので夜の散歩に出てみた。我慢しているつもりでも気がつくとぶつぶつと何か独り言をつぶやいている。昼間でさえ誰も歩いていない田舎町だからと思っていたが、気がつくと前方を歩く人がいて、これではまったくもって不審者だと黙る。

ただ家にいるだけでストレスを感じると思ったので外に出たが行き先があるわけでもなく、徒歩7分のところにあるベンチに座って煙草を吸った。当たり前だが外にいればいいというものでもなかった。父のことを思い出して酷く悲しくなった。危うく泣きそうになったので腰を上げてとぼとぼと帰る。

こういうどうにもならないときに出来ることというか、一旦始めたら終わるまでやり続けなければならないというただそれだけの理由で台所で珈琲の生豆を煎る。煎りながらとにかくどうでもいいYouTubeの動画を見る。単に思考を停止するために。とはいうものの、6分おきに鍋をしゃかしゃかと振らなければならないので絶えず時間は気にしていなければならない。今日煎ったのはタンザニア(キリマンジャロ)なので、ちょっとでも煎りが浅いと酸味が出過ぎるので時間がかかった。キリマンジャロというのはコンプレッサーのスレッショルドみたいなもので、ある一定のポイント以下の煎り方だと酸味で不味くなる。かといってあまりにも煎り過ぎるとそれはそれで味が台無しになる。イタリアンローストよりもちょっと深煎りにするぐらいがポイント。

今日は前回付け直してもらった前歯がもう取れそうなので歯医者を予約。歯の不調ほど嫌なものはないがこう年がら年中取れそうになっているともはやどうでもよくなってくる。それにしてもただ生きているというだけでどうしてこれほど辛いのか。

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