殺意

6月23日、日曜日。

今世紀始まってもっとも不愉快な一日だった。不愉快の極北。ほぼ殺意に近い。警察に逮捕されたあの日ですらここまで嫌な気分になることはなかった。

今考えてみればあと30分遅く病院に行けばよかった。あと30分。そうすれば弟夫婦はもう帰っていただろう。後悔先に立たず。30分早く(一体何からかはよく分からないが)病院に行ってしまったため、母の病室で弟夫婦に出会った。それから一体何が起こったのか。彼らが一体何を言いたいのか、さっぱり分からなかった。弟は何かにつけて独自意見を言いたがる。「独自」という時点で意見が違うことになる。これは今に始まったことではない。そしてそれらはほぼ一般常識的なものに照らし合わされて行われる。つまり、一見、世間一般的には正しそうなことを言いたがる。だがそれは裏を返せば誰にでも思いつき、誰にでも言える程度のことでしかない。

3回目の手術が8月というのは早過ぎるのではないかというのは前回電話で話したときも弟は言っていた。しかしそれはあくまでも素人の意見に過ぎない。医学的な判断は医者にしかできない。手術をして大丈夫かどうかは心情論で判断するものではない。僕がそう言うと弟の嫁は心情論じゃないんです、と何やら物凄い剣幕でまくしたてる。だが何を言っているのか、何を言いたいのか、僕に何を言わせたいのか、さっぱり分からない。

このクソ女はさっきから一体何を言っているんだ?

何を言っているのか、何を言いたいのかさっぱり分からないが、僕が何か言うと、でも、でも、と異様に執拗に食い下がる。終いにはお兄さんの気持ちが大事で、とか言い始めたので僕の気持ちは完全に切れる。気持ちが、ということは心情論そのものではないか。

こいつは本物のバカなのではないか?

なんでこの女は今日に限ってほぼ永遠に食い下がるのか? 訳が分からない。一体俺に何を言わせたいのだ?

弟が女にもう帰ろうと言ったので彼らはそのまま帰り、後には木星ぐらいある巨大なクエスチョンマークのようなものが残った。それは土星の環のようにもやもやしていた。憤懣やる方ない僕は土星の環ぐらいあるもやもやを押し殺して母にさくらんぼを食べさせた。一体全体さっきのは何だったのか、さっぱり分からないがとにかく不愉快なこと極まりない。怒りの矛先をどこに向けたらいいのか分からないのが発狂しそうにむず痒い。誰に向けたらいいのか分からない殺意みたいな。

あまりにも不愉快なので2時間いる予定が1時間半で病院を後にした。気分転換にいつもとは違う道で帰った。先日の日記にも書いたように、病院の行き返りでいらいらすることが多いので今日はいらいらしないように気をつけていたのだが、それどころではなく気分が最低最悪だった。クソとしか言いようがない。クソ・オブ・クソ。

帰宅してもあまりの不愉快さに気が狂いそうになりベッドで横になるが、もちろん眠れるはずもなかった。こういうときに限ってツイッターのタイムラインに自称フェミニストの女が日本の男性の欲望を揶揄嘲笑するツイートをわざわざ(女性が)リツイートしたものが流れてきた。これで女という生き物に決定的に愛想が尽きた。まさに史上最悪の気分だ。じっとしていると思考が暴走して終着駅のないところまで突っ走りそうになるので、昨夜からParaviで見始めた「逃げ恥」を見る。少なくとも見ている間はクソみたいな気分を一時的に忘れることができる。だが一話が終わるとまた超弩級の不愉快さがよみがえってくる。仕方ないのでもう一話見る。ということを延々と繰り返して7話まで来てしまった。「逃げ恥」を見終わるとまた行先のない怒りがよみがえるだろう。一番頭に来るのは、たぶん誰も悪くないせいだ。それが一番腹が立つ。

今日の結論。

女という生き物はクソだ。

ということはつまり、俺は残りの人生をゲイとなって生きるしかないのか? ホントかよ?

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