4月30日、火曜日。

夕方まで雨が降っていることに気づかなかった。何時ごろだったか、午後だったと思うがモニターが届き、モニターアームに取り付けてHDMIの変換アダプターを繋ぐが何も映らない。唖然としてそれではとVGAの変換アダプターで繋いでみるが変わらず。どちらもドライバーをインストールしているのに何故認識しないのか? とここでハタと思いつき、USBをハブに繋いでみるとようやく映った。どうしてPC本体のUSBじゃなくてハブの方なら繋がるのか、理屈がさっぱり分からないが、とにかく使えたのでほっとする。

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こんな感じになって、写真には写っていないがこの左側にもう一台モニターがある。というわけで環境だけは整ったのだが、いわゆるところの平成最後の日のトレードは完敗に終わった。ストップを2回食らってぐうの音も出ない。とはいうものの、業務で考えるとごく普通の負け額でさして気に悩むほどではないのだが、今日のところはまずドル円でストップを食らい次にユーロドルでストップを食らいで、やることなすことすべて裏目に出たので精神的なダメージは結構ある。ところで、今回買ったモニター、今まで使っていたものと型番まで寸分違わず同じものだということにさっき箱をしまうときに気づいた。まあそれはそれでいいのだけれど。

母のところで7時のニュースを見たが、平成最後の日一色、ツイッターのタイムラインもまたそうだった。あらゆることが平成最後という冠がつく。何をするにも平成最後というわけだ。それはともかくとして、平成の30年というのはちょうど自分の人生の半分にあたる。それでは昭和最後の日はどうだったかというと、ほとんど記憶にない。新聞(当時は取っていた)の一面に「昭和天皇崩御」と大見出しが出て、街中の通行量も少なかったような気がするが、今回のようにあらかじめ今日で終わるということが分かっていなかったので昭和最後の日に何をやったかなんてさっぱり覚えていないのだ。

考えてみれば平成元年はバブルの真っただ中で、僕が最初にユーミンの原盤ディレクターをやり始めた年だった。あのころはトレンディドラマが真っ盛りで世の中がどこもかしこも浮かれていた。大概のものは領収書をもらえば経費で落ちた。食事をするのにも打ち合わせの経費で落とすためにわざわざ流行りのドラマに出てくるようなカフェバー(死語)とかで敢えて高いメシを食った。ほぼすべての人が車を持っているような気がした。青山の骨董通り近辺では国産車よりもベンツやBMW、サーブといった高級外国車の方が多く走っていた。喫茶店に入るとまだ珍しかった携帯電話で「6億までなら現金で払う」などと声高に喋る輩が普通にいた。

当時僕が付き合っていた人妻のジュンコの旦那もまた、バブルで儲けた不動産屋だった。無免許なのにポルシェとレクサスを持っていた。彼はバブルの崩壊とともに破産してジュンコとも離婚した。

傍から見ればあのころが僕の人生のピークだったのかもしれない。満員の武道館のアリーナで熱狂する人たちを、二階の一番後ろの壁に背中をつけて腕を組んで見ていた。で、俺は一体ここで何をしているんだろう? と思った。LAにレコーディングに行くと、学生時代からあこがれだった当時もっとも売れっ子のスタジオミュージシャンたちと普通に仕事をやった。当時のことを書き始めたら切りがないが、とにかくユーミンの原盤ディレクターをやるようになってから、いろんな奇妙なことが当たり前になっていった。人が聞けば面白がるような話はいくらでもあるが、いまだにこういうところには書けない。書いても差し支えないと思えるものは部分的にちょこちょこと昔のfragmentsに書いてある。

僕が雲母社(松任谷夫妻の会社)を辞めたのはちょうどバブルが終わったころだった。世の中がバカ騒ぎの夢から覚めて次第に現実的になっていったころ。僕も次第に現実的になり、毎年アルバムを一枚作って一年が終わるということをこの先何十年と続けていくのだろうかとぼんやり考えて、会社を辞めることにした。そうしないと、毎年延々と同じことの繰り返しになることが見えてしまったのだった。それこそ30年とは言わないまでも25年ぐらい先ぐらいまで。

今考えてみると、ユーミンの原盤ディレクター時代に仕事で関わったり付き合ったりした人間は皆いわゆるところの超一流の人たちばかりだった。そういう意味でもバブルだった。ある日会社に行くとオリコンのチャートの一番上に自分の名前が載っていたりしたのだ。そういうことが全部当たり前だった。

おっと、あと12分で書き終えないと平成が終わってしまう。いずれにせよ、30年を端的にまとめることなんて無理だ。雲母社を辞めたあとは会社をころころと変わり、そのうち僕も音楽プロデューサーと呼ばれるようになり、そのころに自分のサイトを始めた。そして気がつくとパチプロになっていたり、また音楽プロデューサーに戻ったりしているうちに僕はうつ病になった。それからの20年近くは薬の過剰処方で薬漬けになってへろへろになり、最後の会社を辞めてからはどんどん無茶苦茶になっていった。なんだかよく分からないまま、10年ぐらいが過ぎた。気がつくと結婚して離婚したりしていた。いろんな意味で長い長い悪い夢でも見ているようだった。

あと6分。

あらゆる意味で、平成だけじゃなく人生は夢のようであり、バブルのような泡のようでもある。子供のころ未来として夢に見ていた21世紀になったときも、つまり20世紀が終わりある日21世紀になったときも、そのときは別段何も変わらなかった。しかしながら、あのころはまだ誰もがスマホのような携帯端末を持って暮らすことなど想像もつかなかったことも確かだ。放っておいてもいつか時代は変わるが、それはある日を境に突然変わるわけではない。あらゆる日は昨日になり、あらゆる日は今日になる。

あと1分。

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