人間失格

2月8日、金曜日。

昨夜あれから、こんなことを考えた。

かように、このところの僕を苛んでいるのはダメ人間感なのだった。なんだかんだ、いろんなことが結果的にできていない。自分の思念に行動が伴っていない。そういうことが歯噛みするほどもどかしいし自責の念になっている。ときどき、そういうことに圧し潰されそうになる。ある意味、いつまで経っても夏休みの宿題ができない子供のようである。

今日もまた、ハナから雪かきしなくていいものと思って9時47分に起きると、どうも外の景色がおかしい。ちょっと白い。よく見るとブロック塀の上に雪が積もっている。朝食後に玄関を開けてみると、飛び石の上にうっすらと雪が積もっていた。とはいうものの、2センチほどで日が差したら融ける程度、雪かきというよりもただ掃いただけで一瞬で終わった。車庫前は積もっていなかった。そういえばその後一歩も外に出ていないのでその後の様子は分からないのだが。

前述のようにいろんなことを棚上げにしている感が物凄く、無意識下で面倒に思っていることをできるだけ先に済ませるようにする。例えば、県立中央病院に連絡して母の最新の血液検査の結果を伝えて、再来週になっていた診察の予約を来週の火曜日にしてもらった。これは別に面倒なことではないが、診察の日を先延ばしにしているような感じがしてなんだか気持ち悪かったから。夕方に寺に電話して七回忌の日時をもう一度確認して、近所の料理屋に会食の予約を済ませ、夜になって親戚に法事の連絡をした。これは本来であれば父の命日の前に連絡すべきだったかなとずっと気がかりになっていた。

なるべく朝早く起きようというのもそういう行動の一環。だが、そうすると煙草の本数が増えるというジレンマがある。今日もまた日中はずっと相場のトレードをしていたため、ストレスで煙草が増える。朝起きたときの感じからどこかの時点で昼寝するかなと思っていたのだが、そのタイミングもなかったし眠くもならなかった。今日もまたツイッターで何本吸ってもオーケー宣言をしたのだが、7時の段階で18本に達したときはさすがに今日こそは30本に到達すると観念した。それで、食後の一服以外はストレス緩和のために煙草を吸っているようなものなのに、その煙草を我慢することがストレスになっては本末転倒なので、開き直って吸いたいだけ吸ってみてそれで何本になるか試すことにした。実際問題として4ヶ月禁煙して以降の一日の最大本数は28本なのだが、それが30本になったからといって何がどれほど違うのだろうか? 僕が恐れているのは煙草の本数が際限なく増えることであるが、かといって28本までならオッケーというのもなんか変な気がする。例えば経済的な意味合いでいえばできれば一日20本以内、つまり一箱以内にしたいものだ。それはちょっと今のところ無理、ならば28本も30本も大差ないのではないか。そこにはたった2本の差しかない。この2本が天地がひっくり返るほどの差であるとは思えない。だが人間には自制心というものがあって、今のところ僕にとってそれは28という数字なのだった。それが29になるということはある種聖域を侵すような気がしてしまうのだ。もちろん最初から28本だったわけではなく、ある日の時点で28本に達してしまったわけだが、今となってはそれがいつでどういう日だったのか覚えていない。つまり、聖域のわりには自分にとってそれほど重要ではないらしい。いかにもダメ人間らしい考え方だ。

失礼、ここで25本目の煙草に火をつける。

もうお気づきの人もいるだろうが、好きなだけ吸おうとやけっぱちになったわりには、不思議なことに昨日と同じペースに結果的になった。昨日は27本だった。こんなことが果たしてめでたいことなのか、一体何の意味を持つのかさっぱり分からないが、明日は何の予定もない土曜日、特に早く起きる必要は何もないので、今日も27本で収まるかどうかは定かでない。

とまれ、早く真っ当な人間になりたい。無理かな。かなり手遅れっぽいが。

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