For That Once

1月19日、土曜日。

というようなことが昼近くに起きた後あったが、業務から引退した今、何の予定もない土日ほどヒマな日はない。することがないというか思いつかない。曲を作るだの文章を書くだの、恐らくなんかしら生産的な行為はやろうと思えばできるはずなのだが、生憎そっちのベクトルに頭が働かない。前述の人が本当にDTMを教えて欲しいと言い始めたら(大概の人は二度目の電話はかかってこない)と考えて、なんとなく机回りとかを片付け始めたのだが、何しろ架空の話なので身が入らない。前回(数年前だ)音楽を教えて欲しいという人と会ったときに、名刺がないとこういうときに格好がつかないなと思ったことを思い出し、名刺でも作ろうかと思った。昔自分で作ったことがあるのでまずWordを立ち上げた。で、テンプレートの「名刺」という奴をクリックすると、なんとそのカテゴリーは削除されましたという表示。唖然。とりあえず「名刺」でググってみる。で、そんなかのひとつでテンプレートを選んで自分でレイアウト、デザインできるものがあったのでなんとなく名刺を作り、100枚注文してしまった。なんてこった。考えてみると田舎の実家に戻ってそろそろ丸六年になるが、その間に名刺があったらよかったなと思ったことは2回しかなかった。今後の6年間に2回以上そういった機会があるとは思えない。そう考えるとひどく馬鹿げたことをやった気がした。しかしながらオンラインで自分でデザインしてそのまま注文できるのは確かに便利だなとも。

名刺を注文したはいいが、その後の予定は何もない。さて、何をしたものかと思い、なんとなくフェイスブックの自分の書き込みをさかのぼってみた。一体何年前から始めたのかもう忘れてしまったが、恐らく2011年とかその辺りだろうと。ツイッターを始めたのもその辺りだったから。で、実際さかのぼっていくと当たり前だがさかのぼればさかのぼるほど書き込みの頻度が増えていく。悪性リンパ腫になった2012年は随分書き込んでいるなと思ったら、その前の年の2011年はもっと書き込んでいた。結局、それだけで丸一日かかってしまった。一体俺は何をやっているんだろう?的な。しかしながらひとくちに7年といってもこうやってひとつひとつさかのぼっていくと生半可な時間ではないんだなということに気づく。YouTubeじゃなくフェイスブックだけにアップした動画も多いのでいちいち再生してみる。そうすると、例えば今日の日記のタイトルになっている曲を自分が学生時代に書いたなんてことをすっかり忘れていたことに気づく。そして、2011年にイタリア在住の同級生女子のビビのために書いた「J-POPのおすすめ」が圧巻だった。なんと25まであった。改めて今読んでみると、7年前の自分は今よりも遥かにボキャブラリーがあったことに気づいて愕然とする。つまり、7年かけていかに自分のボキャブラリーが減ったかに愕然とするのだ。この日記をずっと読んでいる人(そんな人がいればの話だが)なら分かるだろうが、最近の僕の文章はというと、「それはともかく」とか「そんなわけで」とか「それはそれとして」とかしか書いてない。それこそまるでテンプレートのように。それでいて文章の中身はスッカスカになっている。まるでひからびた果実みたいに。それが、ちょっと7年ぐらいさかのぼってみただけで、果汁がたっぷり詰まっているのだ。

フェイスブック離れしてから随分経つけれど、こうして改めて自分の書いたものをさかのぼっていくと、それぞれの書き込み自体はそれなりにどうでもいいものばかりだけれども、何かを書き込むにはそれなりの理由や背景があるわけだから、それがいちいちフラッシュバックしてきて面白い。ああ俺はこんな人間だったのかみたいな発見がある。例えば最近思い出してツイッターで書いたようなことはすべて、数年前にフェイスブックに書いているのだ。ということはつまり、一度思い出したことを忘れてもう一度思い出す、というようなことを人間は繰り返しているのだということが分かる。そんなことが分かって一体何が面白くて何がどうなのだという気がしないでもないが、すっかり遠ざかってしまったフェイスブックで、かつては同級生やサークルの後輩と密にコミュニケーションを取っていたこともあったのだなということが、なんか違う自分を発見したような気がするのだった。

なんだか随分遠くまで来てしまったような気がする。

ひとまず今日は予想外に雪かきをせずに済んだけれども、天気予報によると明日から一週間ずっと雪だという。マジか。

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