Cadence

12月12日、水曜日。

気がつくと日付が変わり、嫌々ながらも風呂に入り、今日も一日が終わる。そこでふと、こんな風に一日を過ごして終えていいのだろうかという疑問が浮かぶ。Ⅱ-Ⅴ-Ⅰみたいな理想的なケーデンス(終止形)というものは日々の生活にとってどんなものなのだろう? どういう一日ならば自分は充足するのか、満足するのだろうか? そう考えると思い浮かぶのは、ワールドカップのベルギー戦(負けたけど)のときのように、興奮冷めやらぬまま一日を終えるとか? しかしながらそんな機会は滅多にあるものではない。しかるべき伴侶がいて毎晩セックスしてから寝るというような人ならともかく(でもそれもそう続くとは思えない)、僕のように一人暮らしの人間はなんとなく夜が更けてなんとなくいつもの時間になりなんとなく寝床に入って睡眠薬を飲んでいつものように本をちょっと読んで少し眠くなったら本を閉じて電気を消す、という具合になんとなく一日が過ぎていく。例えば今日のような場合、一日のところどころで何かにつまづいたように何をしたらいいのか分からなくなって戸惑う。果たして何をするのが適切なのか分からなくなる。それが例えば午後であったらベッドに潜り込んで昼寝をしてみたり、夜であったらYouTubeの動画を見てみたりギターを弾いてみたり、つまり何をするのもなんとなくになってしまうのである。だからなんとなく一日が終わっても無理もないことなのだ。

冬の日の場合、朝食後に雪かきをしなければならないかどうかがその日がどういう日になるかの重要なファクターになる。次に重要なのは除雪車が通ったかどうかで、それはつまり除雪車が入ると雪かきが格段に大変になるからである。結句、雪かきをしなくてもいい冬の日は、ただ単に寒いだけの日になる。

ところが今日の場合、昨夜の間に雪は降ったものの、放っておいても日中晴れれば融けてしまう程度しか雪はなかった。かといって午前中の段階で午後が晴れるという確信もないので、それなりに申し訳程度に玄関前の飛び石の上だけさっと雪をかいた。車庫前は車の前だけひとかき。こんなものは雪かきをしたうちには入らないが、かといってまったく雪かきをしないで済んだわけでもない。かように出発点から中途半端ではあった。

日中相場(昨日の負けを6割ほど取り戻す)。昼寝少々(小一時間)。スパゲッティを茹でて早めに夕食。夕食後下痢(母のところで4回もトイレに駆け込む羽目に)。夜ギター少々。振り返ると、何もしなかったのとさして変わらない気がしてしまう。もちろんそれなりに相場で40ピップスほどの利益は出したので何もしなかったわけではないのだけれど、何かをやりきったという感じはない。むしろ昨日の方がそういう感じはあった。しかしながら、毎日毎日全力疾走というわけにはいかないな。走っても歩いても、所詮過ぎるのは一日。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク