2011

「アナザー・ワールド」

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年末にその年を回顧するのはここのお約束だと思っていたのだが、2009年は書いてないな……。

それはともかく、今年に関しては3.11以前と3.11以降ではまるで別な世界になったようだ。僕らはあの日、世界の終わりを垣間見た。そして、その日からまるで地球の地軸がちょっとだけずれたように世界は歪んでいき、今まで見えなかったいろんなものが見え始め、世界中で奇妙なことが次々と起こった。ニューヨークで地震があったり、テキサスでオーロラが見えたり、ノルウェーにスプリー・キラーが現れたり、ロンドンで略奪目的の暴動が起きたり、北アフリカに端を発した反政府運動がそこら中に蔓延し、独裁者が2人死んだ。もちろん、僕らは常に世界を主観的に見ている。だから何が起こっても不思議ではないし、主観的である以上、現実というものは不確実なものとしてしか存在しない。一寸先は闇、って奴だ。しかし、ある日を境にこうまでいろんなことが起こると、違うパラレル・ワールドに移行してしまったのではないか、などと半ば真剣に考える。いずれにしても僕らは生き残り、それ故に生きざるを得ず、つまりは世界が変わろうが変わるまいがすべて同じだ。ひとつだけ確かなのは、僕らが存在している間は、世界は終わらない、ということだ。

結局のところ、自分がどういう1年を過ごしたのか、時間の感覚を失っている僕にはあまりにも曖昧模糊として、1年というスパンで物を考えることが出来ない。いろんな事象が脳内に点在しているだけだ。治る予定だったうつ病は、多少は軽くなったもののいまだに治らず、相変わらず1日のうち数時間は鬱屈したり、意識を失ったりしている。震災の直後、余震が怖いからと言われて元妻のところに一週間泊まり、2人で計画停電を経験したりしたが、かつて僕らが一緒に住んでいたそのマンションは今は売りに出されてもぬけの殻だ。たかだか半年ぐらいの間に、僕らが住んでいた部屋は元妻と一緒に消滅してしまった。もちろんそれは観念としての話だ。いずれにしろ僕はこの街に一人で取り残され、毎日夜をどう過ごしたものか考えている。

もし僕らが本当に違う世界に移行したのであれば、3.11以前の世界は何処にあるのだろう。そこにはもはや僕という人間は存在しないのかもしれない。ま、実際のところ、ネット上以外では存在していないも同義だが。逆に言えば、僕があらゆる書き込みを止めたら、ネット上でしか僕を知らない人にとっては、僕が消滅したことになる。そして、そう遠くないうちに忘れるだろう。だが僕は僕という存在を忘れることは出来ない。いかにいい加減で曖昧で不確実であろうと、僕はこの世界で生きていくしかない。で、それはそれでまんざらでもない。すべてがつまらない、などということは滅多に存在しないものだ。今年になってFacebookを始めて久しぶりに学生時代の同級生や後輩とコミュニケーションを取り始めたように、来年は何かまた違う誰かがひょっこりと僕の世界に現れるかもしれない。最近、どういう風の吹き回しか、またギターを弾き始めたので、またバンドをやるかもしれない。また小説を書き始めるかもしれないし、もしかしたら病気が治るかもしれない。詰まるところ、生きるということは悪いことばかりではないのだ。

written on 30th, dec, 2011

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