on the tightrope

「最近更新しないわけ」

体力・精神力回復して面白がれるのを待て、ってが...

2000年11月27日(月)

書くことがないのである。厳密に云えばあるのだが、例えばそれはパチンコ屋にたむろする不思議な人達のこととかであって、パチンコそのものでは無い。つまり、僕自身が今日はこんな展開でこんな風に当たってこうなりました、などと云うことにあまり興味が湧かなくなったのだ。それらは単なる経験値として、データとしてのみの価値しかない。肝心なのは朝店に入ったときに自分が何をどう判断してどれを選んだか、つまり最初の一時間だけであって、後の時間はそれこそバカ回りの台をガラガラのシマで一日打てでもしない限り、僕にとってはひたすら苦痛でしかない。ことさら体力が落ちている最近ではなおさらだ。僕にとっては、恐らく僕が打たない土日も休まず、恐らく開店と同時に入っているのだろう、必ず僕より先に入店していて、夜疲労困憊して僕が退店するころになってもまだ嬉々として打ち続ける常連のおっさんやおばさんはひたすら謎でしかない。しかも彼らは毎日同じ服を着て、毎日同じ台を打ち続けるかもしくはひたすら角の台を打ち回ると云うだけなのである。彼らの体力や財力がいったいどこから来るのか、彼らの人生のよろこびとはいったいなんなのか、僕にはまるでロズウェルに舞い降りた宇宙人のような理解しがたい存在に思える。

最近では別のところにも書いた精神的なものも伴って、隣りに人がいるだけで猛烈なストレスを覚えてしまう。両脇に客がいるだけで、まるで一日の体力と精神力の大半を使い果たしてしまうような錯覚を覚える。僕に出来ることはひたすら感情を排斥して、目の前で起こる事象だけを客観的にと云うより機械的に処理するサイボーグ、もしくは洞窟の壁を見詰め続ける達磨のような、あたかも禅の境地に自らを持っていこうと必死になることだけである。まあ、こんなことで面白いわけないのである。

そんなことを続けているうちに人の収支とかにもあまり興味が湧かなくなってしまった。そもそもパチンコは釣りのようなものである。ひたすら釣り糸を垂れて引きを待つ、と云う行為そのものも似ているが、例えば漁師が技量や経験だけで食えるかと云うとそうではなくて、漁場がなくては食えない。つまり魚がいなければどうにもならない。逆に云えば、入れ食いの漁場があれば大なり小なり食えてしまうのだ。待てよ、そう云えば釣りの情報ってどこで何匹釣れただのデカいのが釣れただのと云うことだな...なるほど。

とまあ、そんなわけなのだが、相変わらず言い訳長いな。要するに自分が面白がれなくては面白いものは書けない、ってわけさ。

本日の収支 +27,500

いちおう少しは見に来てくれた人の役に立つこともと思ってこんなとこに書き足しておきました。

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