on the tightrope

「占いの効用」

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2000年4月12日(火)

昨日何年か振りで連れ打ちをした。食うためのパチンコを打つようになってからは、ほぼ初めてと云っていい。そもそも僕は気を使うタチなので連れ打ちと云うのは極力やらないことにしているのだ。そんな僕がなんで連れ打ちになったかと云うと、別にそんなつもりでは無かったのだ。たまたま本業の後輩(最近いろいろ協力してもらっている)がアーティストの資料を渡したいと云うので、途中で食事休憩を取って打ち合わせをしていたら、パチンコ見に行ってもいいですか、などと云うのだ。あ、コイツは僕がパチンコを打っているのを知っているのだった。オレ見られるの嫌いだからダメ、と云って僕は店に戻ったのだが、しばらくして背中越しに「お疲れ様です」などと云う声が聞こえるものだから振り返ると、性懲りも無しにコイツが現れた。で、どれ打ったらいいですか、などと云うので少々一緒に打った、と云う次第。で、久々に連れ打ちしてみると、これが案外気楽で客観的に打てるのだ。初心者に教えながらと云うことが、思いのほか自分も基本に立ち返れるし、余計な雑念も消える。例えば、僕が薦めた台を打っている彼に回るかと尋ねたら、回るけどリーチがかからないと云うので、「そんなのどうだっていいんだよ、回れば」などと偉そうに云ったのだが、考えてみると一人で打っている時の自分が案外真っ先にそれを忘れてしまったりする。ハマってる最中に、ああリーチかかんねえなあ、などと何時の間にか考えていたりするのだ。まあ、何はともあれ、人間と云うのは一人で考え事をし続けると、勝手に堂堂巡りをしてしまう動物なのだ。

ところで、新聞や雑誌を開くと占いのコーナーと云うものがある。大体において勝負事だ何だに関わっている人間は縁起を担いだりするものだが、僕はここ数年来、全く占いと云うものを信じなくなっている。何故かと云うと、単純な話、当たらないから。それでも生来の性格もあって、一日の終わりにちらと読んで、お、今日は少し当たってるとか思ったり、大はずれだと思ったりはしてるのだが。とにかく、朝イチでは読まないようにしているのだ。要は悪い運勢が書かれていると、無意識のうちにそれに引きずり込まれてしまうような気がしてしまうから。って、もしかしたらこれって半分信じてるってことか?

それはともかく、同じ運勢の人が世の中の12分の1の人数居るなどと云うことがそもそもおかしいと云えばおかしいのだが、時には人間なんでもいいから指標のようなものが欲しくなったりもするのだ。今日は別にそんなわけがあった訳でも無く、なんとはなしに朝新聞の占い欄を読んでしまった。すると何と云うことか、そんな日に限って恐ろしいことが書いてある。些細な言い争いが高じて警察沙汰になるかも、などと書いてある。げ、とは思ったものの、こう云うときは反面教師として受け止めることにした。ふむふむ、要するに余計なトラブルは避けよ、と解釈しておこう。

こう云う日に限って、それとも気のせいなのか、ちょっとした気に障ることが多い。ちなみにこのところだんだんいつもの平常営業になり、すっかり渋くなって来ている。お陰で先週末はボコボコに負け続けた。今日はいつものジャングルパークの一台をしばらく打ったが回りが上がってこないので、新台のタヌ吉2000を打ってみたのだが、シマが混んでいるせいか、やれ店員が通るときに二度もアタマをドル箱でどつかれるわ、隣の夫婦が揃ってドツくわ、隣のおっさんに靴にジュースこぼされるわ、天のワープにやたら玉が引っかかるわ、果てはスルーにも引っかかるわ、アタッカーの拾いは悪いわ...朝占いを見てよかった。とにかく今日は怒らないように気を付けていたもの。それとも占いを見たから余計そう感じたのか。天のワープは引っかかるたびに呼ぶのも嫌がらせのようでトラブルの元かと思い極力我慢したが、さすがに二個引っかかったときだけ呼んでいたら、店長が叩いて直してくれた。夕方になってさすがに新台のシマ、全て埋まる混雑になってとても無心で打てる環境じゃなくなってきたので、ようやく5連チャンして少し浮いたところでヤメ。

ところで、果たして占いは役に立ったのか?ま、今日のところは役に立ったと思っておこう。馬鹿とハサミは使いようとも云うし。帰りがけに例の稲荷によって、お賽銭を7円入れた。なに、感謝の気持ちだって。

ちなみにタヌ吉については機種のコメントに追加しておきました。

本日の収支 +16,000

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